『13年度から脱ゆとり、仕上げ』(朝日新聞)

 『高校教科書ページ1割増』という朝日の見出し、副題をタイトルにしてみました。

 さて、「おちこぼれ」救済の名のもとに教科書がどんどん薄っぺらになっていった「ゆとり教育」の見直しが、13年度で小・中・高のラインナップが完了するということで、これは意味のあることだと思います。
 新しい教科書では『知識も活用も』(朝日新聞、21面の関連記事)と意欲的な取り組みも見られるようですし。

 ただ、文句を言うわけではないですが(文句言ってるって(笑))、前向きな気持ちは伝わるが方向性が違うだろうという部分も散見されます。このあたり、先日のエントリ『「特典」への違和感』とも重なる部分があります。

 朝日の記事によると、英語の教科書に「AKB48(開隆堂出版)」「キティ(東京書籍)」が登場、「動画の原理を示すためのパラパラ漫画を全ページの隅に掲載(日本文教出版)」といった工夫も見られるとのこと。

 小学校の教科書に「ドラえもん」や「アトム」のイラストが載ったのを見て、「あ、教科書会社の負け」と思った人間から見れば、キャラクタの持つ誘因力に頼っているうちは教科書デザインはまだまだと思ってしまいます。なぜ、教科の中身を深堀りして、そこから湧きでる井戸のように、魅力を発掘・共有できないのでしょう? 教育デザイン力のある人間が現場にいないのかもしれませんね。
 パラパラ漫画に至っては、「東京スカイツリーが建設されていく様子」という見ごたえのあるもののようですが、パラパラ漫画は子どもの専売特許、教科書会社が率先してやることでもないなという気がしています。

 「考える楽しさ」や「知るよろこび」を教えることなく、尻馬に乗っかって児童生徒に迎合しているだけではねぇ。
 もちろん「AKB48」の力で英語の魅力に目覚めて、「将来、英語を使った仕事に着きたい!」という子どもが出る可能性は否定しません。でも、それは「可能性」の話であって、教科書デザインのポリシーとは別の話です。

 このあたり、教科書はもっと骨太のコンテンツを提供し、誘因力発揮は現場の先生方にお任せするという役割分担がスマートな気がします。