しつこく一昨日のエントリの続き。
今回発表のiPadに不満な人々は、こんな製品を期待したのだろうか?
確かに、スマートフォンをタブレットに収納し、タブレットはキーボードと合体してノートパソコン(ライク)になる、というのはおもしろい! スマホで見ていたコンテンツを拡大して見たい時にタブレットに挿入するだけ、とか。
ここだけみればワクワクする製品だし、触れてみたいと思う。けれど、アプリ(コンテンツ)を載せるプラットフォームとして考えなくてはいけないことがあります。
ひとつはプラットフォームとして、コンテンツベンダーが魅力を感じる台数だけ普及するか。プラットフォームのパワーは数。ある程度の数が出ないと多くの企業は乗ってきません。
もうひとつは新機軸を追いかけて、互換性のない新機能が搭載されはしないか。例えば、ディスプレイの解像度が上がること自体は歓迎すべきだけど、新機種が出るたびに解像度が上がるのではコンテンツ制作側はつらいですよね。
今やiPadは世界で5000万台以上普及しているプラットフォームです。
ですからちょっとした思いつきで新機軸を投入できるわけではない。引き継ぐべき過去の遺産を負っているので「冒険的な精神」が失われた(かのように見える)製品が出るのもやむを得ない面はあるでしょう。
だから次のiPadを見る意味があるのです。
次の記事も参考になると思います。
実はこの話、ICT支援教育とも重なる部分があるように感じます。
また稿を改めます。