4/2、日経新聞のコラムより

 こんな時間にブログを更新していると、フリーになったことを感じますね。

 さて、本日づけの日経新聞は『産業天気図4〜6月』が気になった方が多かったと思いますが(笑)、私は教育面の2つのコラム、「英国の進んだICT授業、新しい学び方見習おう」と「生活乱れて成績急落、学力回復より難しいこと」の対比がおもしろかったです。

 前者は玉川大学 小松郁夫教授が「英国で見学した先進的なICT教育をぜひ日本にも」という主旨で記述されています。電子黒板を各教室に、という希望を述べておられますがそこへ向けての実証実験は現在盛んに行われています。
 もはやICTを「導入するか、しないか」ではなく、「導入するならどいういう形態がよいか」という詰めの段階に来ていると思います。あとは、予算化、ICT支援員の制度化等をどうクリアしていくか、ですね。

 一方、後者は「成績は悪くなかった都立高生の成績が急落、原因は生活面」という話題。塾の教え子だった生徒が相談に来て「単位制の定時制高校に出願し、試験ではなく面接で落とされる」という結果に。面接を非常にだらしのない格好で受けたという落ちがついていました。
 これは私も塾経営時代に痛感した問題です。
 児童生徒に授業を聞かせられる時間は限定的で、自分でコントロールできる時間の方が圧倒的に長い。その自由になる時間でどう勉強するか。
 だからこそ、ひとりひとりの生徒をトータルに指導できる「クラス担任制」のアドバンテージがあったことは以前のエントリでも書いた通りです。成績を上げるということは、単に勉強のコツを掴めばいいというものではなく、場合によっては生徒自身が変わらねばならないことも多いのです。

 この2つのコラム、意図して同じ面に並べたわけではないでしょうけど、「ICT活用授業」ばかりに目がいってしまって見落とされがちな「児童生徒をどう指導するのか」という視点を補っていておもしろく感じました。
 後者はコンピュータ任せというわけにはいかないでしょうからね。

 ICT活用授業を研究するのに忙しく、児童生徒と向き合う時間が減ってしまうというのは本末転倒です。
 そこはICT支援員の協力も得ながら、先生方にはいわゆる「クラス運営」に向き合い、子供たちを指導する腕を磨いてほしいと思います。

『高校教科書ページ12%増』(読売新聞)

 前回の朝日新聞と同じ日の記事を読売新聞から拾ってみました。

 一面は「ゆとり教育」からの脱却ということで似たような記述でしたが、10面の解説記事は読売の方が深掘りしており好感が持てました。曰く、『難・易二極化 高校教科書 学力格差に対応』

 例えば英語に関しては
 ・3年間で教える単語数が500増え、一気に30年前の水準に戻る
 ・新指導要領の「授業は英語で行うのが基本」という文言に則り、日本語のほとんどない教科書も登場
 ・中堅都立高校の教諭の話として「生徒が理解できないものを英語で説明しても時間がかかるだけ」と懸念
 ・ある教科書会社の営業担当の話として「英語の学力格差はすさまじく、先生の要請を受けて作った」というアルファベットの書き方から始まる教科書を紹介

 など、「ゆとり教育返上」と言葉で言うはたやすいが、高校生の学力格差を考えると現場の苦悩は深い、という記事になっています。

 高校ごとに学力格差があるので自校のレベルに合った教科書を選択するのはもちろんですが、クラス内で格差がある場合これをどう解消するのか? 教科ごとに習熟度別クラスを編成して取り組む? 演習を中心にコンピュータのコンテンツを活用する?

 教科書「で」教える先生方の力量が問われていると同時に、授業の方法論、学校教育のフレームワークまで見直さなければならないと感じました。

『13年度から脱ゆとり、仕上げ』(朝日新聞)

 『高校教科書ページ1割増』という朝日の見出し、副題をタイトルにしてみました。

 さて、「おちこぼれ」救済の名のもとに教科書がどんどん薄っぺらになっていった「ゆとり教育」の見直しが、13年度で小・中・高のラインナップが完了するということで、これは意味のあることだと思います。
 新しい教科書では『知識も活用も』(朝日新聞、21面の関連記事)と意欲的な取り組みも見られるようですし。

 ただ、文句を言うわけではないですが(文句言ってるって(笑))、前向きな気持ちは伝わるが方向性が違うだろうという部分も散見されます。このあたり、先日のエントリ『「特典」への違和感』とも重なる部分があります。

 朝日の記事によると、英語の教科書に「AKB48(開隆堂出版)」「キティ(東京書籍)」が登場、「動画の原理を示すためのパラパラ漫画を全ページの隅に掲載(日本文教出版)」といった工夫も見られるとのこと。

 小学校の教科書に「ドラえもん」や「アトム」のイラストが載ったのを見て、「あ、教科書会社の負け」と思った人間から見れば、キャラクタの持つ誘因力に頼っているうちは教科書デザインはまだまだと思ってしまいます。なぜ、教科の中身を深堀りして、そこから湧きでる井戸のように、魅力を発掘・共有できないのでしょう? 教育デザイン力のある人間が現場にいないのかもしれませんね。
 パラパラ漫画に至っては、「東京スカイツリーが建設されていく様子」という見ごたえのあるもののようですが、パラパラ漫画は子どもの専売特許、教科書会社が率先してやることでもないなという気がしています。

 「考える楽しさ」や「知るよろこび」を教えることなく、尻馬に乗っかって児童生徒に迎合しているだけではねぇ。
 もちろん「AKB48」の力で英語の魅力に目覚めて、「将来、英語を使った仕事に着きたい!」という子どもが出る可能性は否定しません。でも、それは「可能性」の話であって、教科書デザインのポリシーとは別の話です。

 このあたり、教科書はもっと骨太のコンテンツを提供し、誘因力発揮は現場の先生方にお任せするという役割分担がスマートな気がします。

『学校に競争 米改革不評』(朝日新聞)

2012/3/4の朝日新聞3面の記事。
「学習内容に偏り」「教師は疲弊」との小見出しが続く。

 記事は10年前にブッシュ政権がつくった「落ちこぼれゼロ」法が成果を上げられず、見直しを求める声が強まっているとした上で、最上段に「橋下流教育政策に先行」と打ち、橋下市長の教育改革に疑義を呈しています。

 アメリカと大阪を比較した表があるので抜粋します(以下、朝日新聞の記事より)。

■米国と大阪の教育改革の類似点

米国 大阪
学校別に結果を公表。保護者はそれを基に学校を選択 学力
テスト
保護者が小中学校を選べるよう、学校別に結果を開示
テストが4年連続で目標に達しない場合、教員を総入れ替えする 教員
評価
保護者の申し立てや校長の評価で、不適格教員を現場から外して研修
5年連続で目標に達しない場合や卒業率が低い学校は閉校 統廃合 3年連続で定員割れした府立高校は再編整備。小中学校でも学校選択制を導入し、選ばれなかった学校は統廃合も考慮
テストが標準に達しない子は低学年から留年させることができる 留年 小中学校で、学力不足の子の留年を検討
シカゴ、ニューヨークなど大都市で教育委員会を市長直属に 教委 教育の基本計画は首長が教育委員会と協議して作る
テストが2年連続で目標に達しない場合、塾や家庭教師に使えるバウチャー(券)を支給 バウチャー 所得が低い地区の子の保護者に、塾や習い事に使うバウチャーを支給

(大阪の改革項目は教育基本条例や橋下徹市長の発言による)

——————————————-ここまで

 記事によれば米国の失敗は「評価をテスト結果のみにしたことで、子どもたちはつまらない授業(テストのための勉強)にうんざり、効果も上がらない」ということのようです。
 それはそうでしょう、テストの結果や数字のみを求めて競争すれば疲弊するのは目に見えている。
 記事中にあるように「(学力格差を明らかにしたことはよかったが)格差を是正するには予算をかけ教員を増やし、きめ細かい多様な教育をする以外にない」とのことですが、その予算が限られている中で最適解を探さなくてはならないから苦しいのです。

 で、橋下さんはどうするのか。

 このアメリカの事例、成果や失敗とされる内容・原因について精査する必要があると思います。
 ちょっとこの記事の書き方は橋下さんに好意的とは言えない。例えば上の表、「教員評価」の項目ですが、テストが目標クリアできない場合教員総入れ替え(米国)というのと、不適格教員を現場から外して研修(大阪)というのが並んでいます。これを類似点としてひと括りにするのは乱暴ではないでしょうか。

 先行事例を踏まえて、結果・数字のみを追いかける教育にならないよう橋下市長には頑張って頂きたいものです。

「確率」も危ない!

 昨日、「平均」の理解の危うさについてエントリを起こしましたが、今日は確率について。

 いきなり質問です。
 コインの裏が出るか、表が出るか賭けをしています。ここまで10回連続表が出ています。あなたは表、裏、どちらに賭けます?

 おそらく、多くの人は「裏」です。そのココロは「ここまで表が続いたのだから、そろそろ裏が出るだろう」
 確率的に言えばこの考えは間違い。コインが今までのことを覚えていて、次は別の面を出すとでも?
 いかさまコインでない限り今までどちらが何回出たかに関わりなく、次の回も表が出る確率は1/2、裏が出る確率も1/2です。

 10回では回数が多いので、3回で検証してみましょう。今まで2回連続で表が出ました。次は何?という問題。
 1回目-表、2回目-裏、3回目-表 という出方を(表、裏、表)と書き表すことにします。全ての場合を書き出すと以下の通りになります。

 (1)(表、表、表) (2)(表、表、裏)
 (3)(表、裏、表) (4)(表、裏、裏)
 (5)(裏、表、表) (6)(裏、裏、表)
 (7)(裏、裏、表) (8)(裏、裏、裏)

 ここで多い勘違いは「全部で8通りの場合があって、すべて表が出てるのは(1)の場合だから確率1/8。だから次も表が出る確率は低いんじゃない?」というもの。

 全ての場合を見てはいけません。
 ここで見るべきは表、表と来ている(1)と(2)のみです。ここを押さえると次に表が出るか裏が出るかは五分五分の勝負ということが分かりますね。

 3回連続表が続くケースがレアなのは、1回目を試行する前に宣言した場合です。
 「これから表が連続3回出たら、コーラおごって」なんて言う場合、そのもくろみが叶う確率は1/8です(笑)。ただし、誤解の無いように付け加えておきますが「これから表、裏、表と出たら」と宣言した場合も(3)の場合しか該当はなく、確率は同じ1/8になります。

 ということで、ギャンブルで負けが続いた場合「次こそ」と期待して逆張りするのは、「前の試行の結果が影響を与える」場合を除いて無意味です(^_-)

 もうひとつ行きましょう。
 年末に多くの人が楽しみに買う宝くじ。私たちは「この売り場から1等が出ました」といった文句に弱いので、ついその売り場で買えば当たるような錯覚に陥ってしまいます。
が、公正な宝くじであれば上記で検証したように「当たりが出た売り場だからといって、次も当たりが出るとは限らない」と言えます。

 それでも「毎回のように当たりが出ている売り場があるのはなぜ?」という疑問を持つ方がいるでしょう。
 それは単純に販売数が多いから。
 1億本のくじを売る売り場と、1万本しか売れない売り場では前者の方が確率的には1万倍当たりが出やすいといえます。

 「じゃあ、販売数が多いとは思えない売り場から連続して出ているのはなぜ?」
 この問いに対する答えは2つあります。

 公正な売り場であれば「たまたま」です(笑)。こういう場合は長いスパンをとって見てください。過去10年くらい遡って調べることができればたまたまというのが実感できるのではないでしょうか。

 もうひとつの答えは「宣伝のためのウソ」です。
 人聞きの悪い言い方ですが、一般の人にはほとんど検証のしようがないことですから、もしかすると虚偽の実績を掲げている売り場があるかもしれません。そうすることがその売り場にとってプラスになるなら、ですが。

 ちなみに「今日は大安です」と言って売っている売り場。ほほ笑ましいです(笑)。
 すべての人に当たるといいですね。

大学生も「平均」が分からない

 『大学生の4人に1人、「平均」の意味誤解 数学力調査』という記事が朝日新聞(Web)に掲載されました。

 私にとってはかなり以前の「高校で分数計算を教える」記事の方が衝撃でした(笑)。

 「平均」は算数・数学を教えた経験がある方なら今回の調査を待たず誤解が多い概念だということはご存知でしょう。日常見聞きすることが多い言葉だけに、その影響は深刻と言えます。いわゆる「足して2で割る」という考えが染みついています。

 朝日の記事では、いわゆる通常の平均について大学生を対象に調査していますが、「平均の速さ」についても誤解(=きちんと学べていない)は多いように思います。
 中学生を教えていた時代、次のような誤解をしている生徒が少なからずいました。

「12kmの道を往きは時速6km、帰りは時速12kmで往復しました。平均時速を求めなさい。」といった問題を
 (6+12)÷2=9 答え 時速9km
と解いてしまうのです。

 念のため正解を示すと、
 [平均時速]=[移動した距離]÷[かかった時間]ですから、
 [往きにかかった時間] 12km÷時速6km=2時間
 [帰りにかかった時間] 12km÷時速12km=1時間
 [平均時速] (12km×2)÷(2時間+1時間)=24÷3=8
 答え 8km

 日常生活に密着していますから、よく理解しておくことが大切な概念です。

 例えばA地点からB地点まで速やかに移動することを考える時、上記の考え方がないとひたすらトップスピードを上げることで平均時速上げる(危険運転)ことしか頭に浮かばず、緊急車両の制限速度時速80km(一般道)では遅い、と感じてしまいます。
 しかし、緊急車両は信号待ちをしなくてもよいので、上記の式でいう分母(かかった時間)を小さくすることで平均時速を大きくできるわけです。ちなみに私がよく運転していた札幌市内では信号待ちが多く、平均時速は20〜30kmでしたね。

 もうひとつ。
 平均寿命の誤解があります。
 平均寿命とは0歳児の平均余命のことですが、「足して2で割る」式のイメージを持ってる方は少なくないのではないでしょうか。極端な例ですが、死亡時年齢が0歳と80歳の人が居たとして足して2で割れば、平均寿命40歳。この数値は確かに平均かもしれませんが、何かを表す有意な数値ではありませんし、平均寿命の考え方としても間違っています。
 実際の平均余命の求め方ですが、現在○歳の人が後何年生きられるかということを前年のデータに基づいて算出しており、これを0歳に当てはめたものが平均寿命と呼ばれるものです。
 厚労省のHPに詳しい説明がありますが、積分が出てくるのでびっくりされる方もいるかもしれませんね。

 ここまで平均のことについて述べると、もうひとつ誤解の多い「確率」について書きたくなってしまいました(笑)。
 近いうちに書きます。

バスの運転士

多くの人にとって、バスの遅延は嫌なものでしょう。最寄駅で電車との接続がある場合はなおさらです。

私も通勤にバス→電車と乗り継ぐので朝のバス遅延はご遠慮願いたいクチ。

もちろん、渋滞ならば仕方ないですが中には車の流れがスムーズなのにも関わらず、遅れがちなバスがあります。
すなわち、安全停止をしっかりし、加減速はゆっくりゆっくり。

こんなバスに乗ってるとイライラしません? 急いでいる時は特に。

でも、私も含めてそんなあなたはバス運転士の本質を見誤っています。

バス運転士にとって一番大切なことは、定刻通りにバス停を通過することではなく、事故を起こさないこと。
ダイヤの優先順位は一番ではありません。

表層しか見ないために、大切なものを見逃してしまうことがあります。

子どもたちの教育を考える時にも、この視点を忘れずにいたいですね。

『「iPad教育」は普通の教科書より有効』って、ホント?

タイトルの記事はMSN産経より。

・『「iPad教育」は普通の教科書より有効

ちょっと待って欲しい。
この手の記事にありがちなのだが、比較の詳細が書かれていない。鵜呑みにはできませんね。

「ICT活用には教育効果がある」という統計を見たことありませんか? これ、実は一種のマジック。 どこが?と思われるかもしれませんが、肝心なのはデジタル教材(コンテンツ)の方が紙の教科書よりレベルが高いってことなんです。

現在、デジタル教材市場には各コンテンツプロバイダがこぞって自慢の製品を投入しています。もちろん、おもしろく、分かりやすい工夫が随所に。
つまり、優劣の構造は「デジタルvsアナログ」ではなく、「気鋭のコンテンツ(デジタル教材)vs 検定を通すためのコンテンツ(紙の教科書)」ということなのです。

デジタル教材を使うことで自ずとハイレベルの教材を与えられていたというのがタネ。
だから、対照実験を行うなら従来の紙教科書と新たに書き起こした図解たっぷり(マンガも)の紙教科書で比較しなければならない、ということ。おそらく後者の方が教育効果が高いという結果になるでしょう。

例えばこんなくだりが記事にあります。
『「生徒たちは、よりパーソナルな形で機器とのやり取りを行っている。参加度がより高い」と、アメリア・アーハート中学のコールマン・ケルズ校長は語っている。「学習が理解しやすい固まりで行われて行くので、学習範囲が莫大で手強いという感じを持たなくてすむ」と、デジタル・マーケティング・エージェンシーである米Organic社のマリータ・スカーフィ最高経営責任者(CEO)は語る。』

これは「インタラクティブ性」などデジタルの優位性も含まれていますが、教科書設計の問題に起因する部分もないですか?
iPadを手渡された場合、コンテンツの全体量は見えない。見えている部分に集中しながら先へ進めていく。一方、分厚い教科書を手渡される。その重量におののきながらページをぱらぱらめくると、自分にはとても理解できないような単語や記号がずらずらと目に飛び込んできて、気持ちをくじかれてしまう・・・。
これはやや極端な描写ですが、従来型の紙の教科書には教師のサポートがないと進められない感があると思います。たとえ、ドラえもんや鉄腕アトムがナビゲートしてくれるにしても。

なので、このiPadの記事もコンテンツを見ないことには、「iPadに効果があったのか」どうか分かりません。

もうひとつ、「効果をはかる」ことの難しさも指摘しておきましょう。
子どもたちの学習効果を「何で」はかります? 客観テスト? だとしたらテスト対策の演習をたくさんした方が有利ですが、そうなると教科書の優位性は?

少々意地の悪い事を書いてしまったかもしれません。が、私自身はiPadのようなデバイスが大好きな人間ですから期待している部分が多分にあるのです。

だからこそ客観的にその教育効果を見つめたいと思っています。